なぜおれのSNSはキモいのか?

身内どうしで繋がっているインスタやTwitterって、無目的に活用しているとどうしても短期的に承認欲求を満たすだけのツールに成り下がると思ってる

 

ふとストーリーを開けば、やれ友達とパーティをしただの、こんなご馳走を食べましただの、恋人と海外旅行を満喫しましただの.......

 

おれも全然こういう投稿はするし否定する意図は全くないのだけど、TLがあまりにも均質的すぎるというか、

こういった類の投稿で埋め尽くされたTLって本当にただ一瞬で流れていくだけの

「ほら!僕私凄いでしょ?いいねくれたら嬉しいな!投稿」の集合体に見えてしまう。

 

 

Instagramを開いてみてください、そしてリングが光っているアイコンをタップしてみてください、その人の、1週間前のストーリーを覚えていますか?

 

 

好きな人でもない限り全く思い出せないし、

逆に言えばその程度のただ消費されていくだけのフロー化したコンテンツになっているのだと思う

 

 

おれは、どうせSNSに時間を割くなら、もっとストック性のあるような、長期的にみて人生ハッピーアゲアゲになるような使い方をしたい。

 

ここで、Instagramのミッションを振り返ってみる:

 

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(Meta社ホームページより)

 

 

大切な人や大好きなことと、あなたを近づける

 

 

 

SNSってもっと、

「こういう話ができる人ともっと話したい...!」

とか、

「これが好きな人ともっと仲良くなりたい...!」

 

みたいな欲求(そしてその欲求を満たすことは長期的に豊かな人脈や経験につながると思う)

を満たすために使えれば、最高なのではないだろうかと思う。

 

 

比較的"良い趣味"として社会に受容されている「グルメ」や「旅行」が本当に好きな人なら、冒頭のようなSNS運用をしていても幸せになれるのかもしれない。

 

ただ、自分の好きなことって往々にして人に言いにくかったり、周りに伝えづらい場合があると思う

 

 

※おれの場合は、一つのパーティゲームに2400時間投下していることだったり、個人でお金を稼いでみたいことだったりが該当する

 

 

リアルの場でそういうことはかなり公言しづらい。

 

でも、SNSというプラットフォームでもその自己発信を躊躇ってしまったら、何のためのSNSなのか?!とさえ思う。

 

 

小・中・高・大と、社会の枠組みの中で偶発的に集合した人たちでフォローしフォローされたSNSアカウントなんだから、

「この人の投稿は興味ない」とか、「この人の投稿はなんか鼻につく」とか、ミュートするとか、あって然るべきだと思う。

 

でも、みんなメシとかデザートの写真ばっかりで、

鼻につく投稿をしてる人はほとんどいない。

 

 

ここだけの話、おれがリア垢でストーリーをあげたとき、かなりDMをもらったりいいねをもらったりすることが多い気がする(いやシンプルにありがとう)

 

それは、客観的に見たら"キモい"発信であるのと同時に、Instagramのミッションに忠実であることの証明のように思う

 

 

あと、最近裏アカ(鍵アカ)を作る人が多い。

 

これに関しては、本当によくわからない。

 

 

SNS自体が人生の裏垢」なんだから、その鍵垢で発信しているような"キモい"内容を、もっとオープンに、ガンガン本垢で発信して欲しいと切に思う

 

そして、もしその内容がおれの趣味志向と近しかった場合、ぜひリアクションしたい、もっと仲良くなりたい。

 

 

きんじょ

季節の変化に気づかされたい、理想のライフスタイル

冷静に考えて、日本の四季って神仕様だなと思う

 

春、夏、秋、冬

 

なかなかいい感じの周期でやってくる

(春、秋が存在しているのかは議論の余地あるけど)

 

もし1ヶ月周期だったら衣替えとか間に合わなくて生活がすごいストレスだったと思うし、

 

逆に6ヶ月周期だったら結構飽きが来てしんどいんだろうなと思う

 

そんな中、ざっくり3ヶ月周期という神サイクル、

もはや人間のために世界が作られたような錯覚がする

 

ただ、そんな神周期にしてくれてるのに、

大人になってからは全然季節を楽しめてないように感じる

 

普段室内で仕事してて、出社しに外出た時だけうわっ外あちいなって言って、

 

休日になると折角夏だから、とあてがうようにBBQしたり花火したりして、

やれ今年は夏が満喫できただのできてないだの

 

 

 

おれは、将来もっと季節をそばに置いて生活がしたい

 

まず、物理的に外でゆっくりできる時間を増やして、天気予報ではなく肌で季節の変化を感じたい

 

それと、季節のアクティビティもちゃんとしたい

 

夏は飽きるほどBBQしたり海行ったりして、

もういいよ夏はw、ってなって秋を迎えたいし、

冬は死ぬほどウィンタースポーツしたり鍋食べたりして、もう冬はお腹いっぱいや、ってなって春を迎えたい

 

こうやって理想のライフサイクルを言語化しておいて、5年後10年後自分で読み返した時に少しでも近づけていると幸せだなと思う

 

 

きんじょ

 

 

 

 

適職判断の前に、リソースアロケーションへの納得度?

仕事が楽しくないんだけど、「何がしっくり来てないのか?」結論を出してからじゃないと間違った方向に動きかねないなと思って、表題のようなことを考えている今日この頃

 

自分は今の仕事に向いているのか?向いていないのか?

 

そんなことを考える前に、

「今やっている仕事は、時間や労力などのリソースのかけ方が納得いくものなのか?」

 

ここが大事だなと思った話。

 

なんで大の大人たちがこんなことに会議を重ねないといけないんだろう?

 

なんでこんなことに深夜まで大量のFBを受けなきゃいけないんだろう?

 

前までは、resource allocationへ納得できないことなんて大企業に入った代償だよな、くらいにしか考えてなかったけど、この問題は結構深刻な気がしてきている

 

 

理由としてはまず、反省/改善ができない

 

やっていることに意味を見出せないと、別に改善しようとも思わない

 

例で言うと、よくうちの会社でやってる顧客調査について、

毎月何十〜何百万って使ってるけど、「お客が自分のニーズなんて正しく解ってる筈がない」って思ってしまってるから身が乗らない。

 

より良い調査にしていこう!って言われても、そもそもこの仕事に価値を感じてないから、心から反省できない

 

 

2つ目の理由として、自分の得意不得意が仕事を通して見分けられない

 

ダメ出しを食らっても、「この仕事そんなに意味ないし出来なくてもある程度仕方がないな」みたいに、仕事の設計そのものに責任転嫁してしまう

 

褒められても、「別にこれができても他の会社では使えないしな」みたいにあっさりしてしまう

 

 

だから、自己分析やら何やらする前に、

「会社のresource allocationに自分が納得しているか?」

 

ここが大前提になっているのでは?

 

って思いました😂

 

きんじょ

 

(追記:10/6)

 

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すみませんでした。

 

きんじょ

奢るvs奢られる

 

あなたは奢る人ですか、奢られる人ですか?

 

カネに対して持ってる考え方って、本当に、人によってバラバラだなと思う。

 

そして俺はというと、比較的重たく考えている方だと思う。

 

小学生の頃。

俺がお金を稼ぐ唯一の手段は、母親の肩揉みだった。

 

10分肩揉みして、10円。

 

時給60円。w

 

それでもその10円を片手に近所の駄菓子屋で「きな粉棒」を買うのがめちゃくちゃ嬉しかった。

 

そんな育ち方をしてきたから、お金のことは比較的重たく考える。

 

これは、「執着」や「ケチ」とは少し違う。

 

特に1対1の場合は、人によく奢る。

 

これは、自分が金銭的に得をしたら嬉しいから他人にそうさせてあげたいし、

金銭的に損をしたら嫌な気分になるから他人にはそうさせたくない、

という気持ちから生じているのだと思う。

 

 

 

今一度、奢る、奢られるについて、自分の考えをまとめておきたい。

 

 

まず大前提として、その場に居合わせている歳上や目上の人って、"絶望的に不利"だと思う。

 

奢った場合は当然(額にもよるが)金銭的なマイナスを被り、

逆に奢らなかった場合は"ケチなやつ"というレッテルを貼られるリスクを伴う。

 

因みに、「社会人は大学生と比べてリッチなんだから奢れよ!」みたいな比較を持ち込む人は、申し訳ないがちょっとイケてない。

 

何がイケてないかというと、「大学生のお金の価値」と「社会人のお金の価値」を比較してしまっていること。

 

そりゃ当たり前で、稼ぎの少ない大学生Aがもつ1万円の価値は、社会人Bが持つ1万円の価値より高いと思う。

 

ただ、天秤にかけるべきはAさんとBさんの1万円ではなく、

「Bさんの中での1万円の使い道」で比較するべきだと思う。

 

当然、Bさんは奢った分の1万円を、他に自分が価値を感じる所へ投じることができた筈である。

 

 

だから、奢ることによる機会損失の程度は、大学生だろうが社会人だろうが変わらない。

 

 

話が脱線したが、そんなこんなで圧倒的不利な立場にある"奢ラー"。

 

そんな奢ラーに唯一残された道。

ぼくが考える、唯一残された道。

それは、奢った時に感謝されることだと思う。

欲を言うと、「えっ、マジですか?」ぐらいの軽い"意外性"が欲しい...笑

シンプルだが、もう、それに尽きると思う。

 

 

最近、奢られることが当たり前みたいな顔してる人が増えてきた気がする。

 

n=1の体感値なのであまり気にしないで欲しいけど

 

 

そもそも、金銭的補助を受けるべきはあなたのパパやママからであって、血のつながっていない目上の他人に奢る義務なんて全くない。

 

奢るって、本当に優しくて素晴らしい行為だと思う。

 

だから、その優しさを踏み躙ってる人を見ると少しやるせない気持ちになる。

 

 

あと、複数人で遊ぶ時は、個人的にあまり奢りたくない。

理由は2つあって、1つ目はシンプルに数の原理で1人の負担が増えるから。

1対1では5000円で済んだところが、5人いると2.5万にもなる。ほぼ1ヶ月の食費代。

何より、こっちは2.5万も出してるのに奢られた側は5000円分のメリットしか感じていないのは不合理だ。

 

正直、5人以上いる場所で「〇〇さん奢ってくださいよ〜」みたいなノリを展開する人はちょっと共感能力が低いのかなと思ってしまう。

 

俺は複数いる場でも出す時は出すけど、

そんなノリが展開されていて前述した「唯一残された道」が閉ざされている状況では、とてもじゃないけど全額は出せない。

これが1つ目の理由。

 

2つ目は、「お財布要員」になるリスクが高まること。

無条件に金をばら撒く人になってしまうと、それだけがその人の介在価値になってしまいかねない。

 

金のために呼ばれているのか、それとも一緒にいると楽しいから呼ばれているのか、わからない。

 

羽振りが良くてカッコいい奴、という理想像もあれば、割り勘してても面白くて毎回呼びたくなる奴、という理想像もあると思う。

 

おれは両方取りたい。

割り勘でも一緒にいて楽しい存在でありたいし、時には数十万くらいなら1つも嫌な顔せず奢れる財力が欲しい。

 

 

と、つらつら奢る・奢られることについて書いてきたが、

楽しい場なのに、たかがカネのどうこうで気持ちが冷めるのは本当に勿体無いと思う。

だから、せめて奢られる人は奢る人に「唯一残された道」を譲ってやってほしい。

そんなお話。

 

きんじょ

 

 

量が減ってきている話

 

最近四六時中ぼーっとしてて頭の中で哲学をすることが多いけど、その日考えたことをその日のうちに忘れている自分がアホらしくなるので、少しでもストックするために1年半前の読書ブログを掘り起こす。

 

最近何に取り組むにしても全く「量」をこなせていない。

今日はこのことにようやく危機感を感じたという話。

 

具体的には、SNS投稿をサボっていること

 

 

サボりがちな自分を自虐しながらも、半ば心の奥底では

「最小のアウトプットで最大の結果出してる俺カッケー」

的な自己優越感がそのサボり癖に拍車をかけているのかもしれないと思ったり

 

 

ただ、何かを達成しようとする時に「量」がこなせてないって、かなり致命的なのではないか?

 

理由は3つ

 

 

① 結果が出せていないことの言い訳にしてしまう

 

今は週1投稿もできてないから、売上やフォロワーの伸びが悪いのは仕方がない。

俺が毎日投稿し出したら、バケモンになる。

 

そうやって、量の少なさを言い訳にしてしまう。

 

実際は、「量を作れること」込みで実力であるのは言うまでもない。

 

②一次情報から得られるデータが欠如する

 

本や2時情報から得たTipsなんて、何の参考にもならないと思う。

やっぱり自分で試行錯誤して作ったものを世に投げてみて、やっと血肉になるデータが得られる。

今の俺は俗に言うPDCAが亀の遅さ。

 

③アウトプットの確度がブレる

 

インスタフォロワー30万人のひよさんがvoicyで、

「投稿作りって自分の過去作から反応の良かったパーツを集めて組み合わせる作業」

と言ってて、ひどく共感したのを覚えている。

 

つまり、「量」がないと集めてくるパーツもない。

したがって、毎回のアウトプットのギャンブル性が増すことになる。

 

 

結論、質vs量議論が意味をなさないのは、量が全ての起点になるからだと思った。

 

量、量、量......

 

予定のない土日はまじで作業する。でも友達との旅行も楽しみ。

 

モチベーション革命

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□起きてる時間のほとんどを費やしていく仕事だからこそ、根っこからモチベートされるような働き方をしたいと思い購入

 

○「ないものに溢れる」時代に生まれたひとまわり上の世代と比べて、私たちは「ないものがない」時代に生まれた"乾かない世代"であり、仕事に成果よりも「意味合い」を重視する傾向にある

 

○今は、好きで楽しそうに仕事をしている人のもとには、自然とお金や人が集まってくる時代

SNSライブ配信でずっと繋がっていられる=自分がコツコツやっていることがその過程含めて全て伝わる

 

○インターネットの世界では「信頼」が可視化される→信頼ポイントの高い人は、モノの貸し借りにおいて優遇されやすい(逆も然り) ex. UberAirbnbなど

・他人に"適度な迷惑"(≠迷惑をかけてはいけない文化)をかけあいながらも、シェアの力によって自由に生きていける

 

○今後、人工知能にも代替不可能でい続けるものは、"非効率な偏愛、嗜好性"

 

 

☆アクションプラン

1つ目に、信頼の大切さについて改めて痛感した本だったように思う。というか、今までも重要だったのがインターネットの発達によってより重要になってきたのではないだろうか。

尾原さんも書かれていた通り、新入社員になる僕はまずは

・目の前の仕事に全力で取り組む

ことに専念したい。

 

2つ目に、もっと自分の好きを大事にしたいと改めて思った。(たとえそれが非効率・偏愛的であっても)

・自分の好きなものを題材にしたYouTube動画をもっと作る

 

 

きんじょ

 

WORK・SHIFT ワーク・シフト

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長期的な視点で考えたときにキャリアの設計を間違えたくないと思い、購入

 

●創造性を刺激し、新しいアイデアを生み出す上では、遊びが極めて重要である

・時間的な“遊び"を確保する上では、自分のスケジュールを自分で決めているという実感が必要

・空間的なゆとり、行動の自由が必要

・仕事があそびになるのは...

①普通はやらないことをする場合

②普通やっていることをやらない場合

③ものごとを普通より極端にやる場合

④社会生活の普通のパターンをひっくり返す場合

 

●高度な専門知識、技能を身につけるには、「場所」が一層重要になる可能性が高い

・学習と訓練の過程における苦労を楽しみ、挑戦にやりがいを感じることが必要

 

●理屈で行動を変えるのではなく、まず行動を変えることにより考え方が変わる

・自分の感情が動かされたものに、まずは取り組んでみる

・新しいチャンスと出会ったら、飛び込むのではなく、まずは小さく始めてみる

・自分と違うタイプの大勢の人と接点を持ち、多様性のある人的ネットワークを築く

 

●複数人との緩やかな結びつきの中で、自分を差別化し際立たせる必要が高まる

・信頼や実績を少しずつ築き、ソーシャルメディアで自分の技能をアピール

・ビッグアイデアクラウドを築く上では、自分の知的資産と専門性を広く知らしめる必要がある

 

●お金と消費には限界効用逓減の法則が当てはまるが、経験には当てはまらない(技能や友達の輪は増えれば増えるほど喜びが増す)

 

 

アクションプラン

 

スキルアップや人脈が「逓減しない幸福」に繋がることをもっと深く理解した上で、まずは興味を持ったことにトライしてみる。

 

・新しい世界を見るために、テレビ、映画、アニメをもっとみた方がいい気がする。日々の中でルーティン化しているアクティビティが多い気がするので(主にマリカ)

→1週間に1本、映画を見る!!

・マリカ繋がりの知り合いの拡大、オフ会への参加を積極的にする。

 

マリカ仲間は普通では関わらないような属性の方達と繋がれる貴重な機会だと思っています。

新しいチームや他チームの人との関わりを増やしてみたり、オフ会に参加してみたりしながら新しい世界を知っていきたい

 

きんじょ