良いものにはいいねをつけたい

もともとSNSが好きで、たぶん人よりほんの少しだけセンスもあり、今では平均30万再生、いいね1万超えもよく見るようになった。

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おかげで最近はSNS上のリアクションについて考え、そして悩むことが多くなった。

今日は、どのSNSにも設計されている「いいね(♡)」について自分の考えをまとめておきたいと思う。

 

改めて、「いいね」というのは極めて異質なものだと思っている。

 

まず1つ目に、「いいね」は1つ1つがどれも平等な価値を持っているところが面白いと思う。

 

たとえば、

「めちゃくちゃタメになった!感謝です!」

っていう人のいいねも、

「ふーん。ワロタ」

で押した人のいいねも、

どちらも1としてカウントされ、価値としては同じになる。

 

ここにはちゃんと気をつけないといけない。

 

同じ1万のいいねを受け取った2人のインフルエンサーがいたとして、彼らが与えた影響の差は目に見えないほど大きい可能性がある。

 

だからこそ気をつけないといけないのは、いいねの数で一喜一憂したり、過度に調子に乗ってしまわないようにすること。

 

youtuberのヒカルが「コメントだけは全部見るようにしてる」って言ってて、やっぱり与えた影響の程度はコメントに定性的に表れるものなのかもなぁなんて考えたりする。

 

 

ただ、2つ目にちゃんと自覚しておきたいのは、いいねは疑いようもなく創作の励みになるということ。

 

やっぱり数として反応が返ってくるところはSNSの醍醐味だと思うし、いいねが多いとアルゴリズム的にも優遇される事実は無視できない。

 

ここは、「自分のモチベーションのため」と割り切りつつも、しっかり反応を取るような仕掛けをクリエイティブのなかに仕込んでおくことは大切だと思う。

 

そして最後、3つ目に、いいねは減るものではないところが改めて特殊だと感じる。

 

友達にお礼にご飯を奢ったりしたらお金が減るけど、いいねはいくら押しても減らない。

 

なのに、いいねを出し渋ったりする。

 

これを読んでくれてる人に聞きたいのだけれど、今日見たYouTubeの動画にいいねはしましたか?

 

 

...おれは、昔から全然いいねが押せない。

 

コンテンツを受け取って面白いと感じたのは確かなのに、いいねができないのって、なんでなんですかね?

 

パッと考えた限りでは5つくらい思いついた:

・シンプルにひと手間がめんどくさい

・知り合いに自分のいいね欄を見られたくない、自分がいいねした事を知られたくない

・相手に反応が通知されるのが嫌

・自分のプライドが高く、この程度では満足しないぞ!と潜在的に思っている

・競争心から、自分のほうが良いコンテンツを生み出せると思っている

 

...という感じだけど、1つ目以外はどれも承認欲求から派生していたり、他人の目を気にしているところから発生していたりするものなのかなと思った。

 

 

別に、、、いいじゃん!いいねすれば!!!

 

自分の1つのいいねが短期的に見れば受け手のプチ幸福感につながり、

長期的に見ればクリエイターの存続につながるんだから。

 

普段からいいねが配れる人って、本当に素晴らしいなぁと見習いたくなる。

 

あと最近思うのは、食べログとかgoogleマップにちゃんといいねしてくれてる人の貢献度はイカつい。

 

ちゃんと調べていいねの数と率が良いところに入ったら、まず外れない。

 

飯が美味かった時、よくそこでレビューをするという発想になるよなぁ。

 

この人たちのおかげで、いつも店選びに失敗せずに済んでいるのかなぁ。なんて思うと涙が出てきますね。

 

 

とまぁ、いいねなんて減るものではないし、"押し得"だなって思ったから、これからちゃんといいねを押そうと思った話。

 

P.S.

Twitterだけはいいね欄をブックマークみたいに使ってるから、安易にいいねが押せない。

Twitterにも早く保存機能🔖が導入されないかな?

 

きんじょ