向き不向きはなくて、単純に頭の良し悪し

 

自己分析とかが流行ってきて、自分の「向き不向き」を考えさせられる機会が多くなってきたように思う

 

ただ、最近は「向き不向き」なんてそもそも本当に実在するのか?とも思う

 

なぜなら、周りに結構なんでも器用にこなす人が多くいる一方で、俺みたいに何においてもパッとする結果を出せない人がいるから

 

「向き不向き」論ってある種、宗教なのかもしれない

それは、AからZの中に必ず自分が向いている最適解があるような前提に立ち、

自己分析や多動を通してその最適解を見つけることさえできたら、自然と非凡な結果を出すことができる...

と信じ込んでいるから。

 

実際そんなはずはなく、任意のXという目の前の課題に対して正しく試行錯誤し、改善がうまい人が結果を出す

 

結局、頭がよくて改善がうまい人が結果を出せるだけの話であって、課題が何なのかはあまり関係ない気がする

 

例えば高校の時学年トップだった友人はもちろんスポーツもできるし、一流企業に内定したし、恋愛も器用にこなすし、ゲームをさせても上手い

 

この前会って話してたけど、自分には勉強が向いているのか?スポーツが向いているのか?みたいなそんな低次元のことを考えているふうに見えず、

ただ淡々と目の前の課題に対して本質を見抜くのがうまく、正しいアプローチで結果を出している印象を受ける

 

諦めが必要だと思う...正直頭の良し悪しって先天的な部分が多いと思うし、その頭の良し悪しが出せる結果に影響しているならもうどうしようもない

 

じゃあ、俺みたいな改善が下手で本質も見抜けない人間はどうすればいいのか?

 

たぶん、100%主観で生きていったほうがいいと思う。

昇進とか年収とか結婚とか、そういう客観的な指標はどうしても頭の良し悪しに依存してしまうので、

 

良い結果を出すことには固執せず、出たらラッキーぐらいに考えて、

何より「それに取り組んでいる時間が居心地いい」、みたいな課題を見つけられるように努力する

 

結果が出せるかどうかの向き不向きではなく、楽しいと思えるかどうかの向き不向きを探し当てることに全振りする

 

20後半にもなると自分が競争に勝てる人間なのか勝てない人間なのかは薄々自覚できてきたように思うので、

ここからは如何に自分100%の土台で生きていけるかが課題なんだな、と思ったのでした。

 

きんじょ