バーベキューで使い物にならない俺

仕事というものがかなり苦手で、「生活」とは一般的に何か物事を前に進める営みの連続である以上広義の「仕事」であり、おれは生きるのが難しい。

 

ただ最近は、

「どういう類の仕事が特に苦手なのか」

、なかなかイイ感じに抽象化できてきた気がする。

今回のブログはそのメモ代わりとしたい。

 

結論それは、

「役割の与えられていない集団作業」。

 

例えば仲間内でバーベキューをするみたいなときが、その典型な気がする。

 

火を起こす者、野菜を切る者、肉を焼く者、皿を並べる者...

 

複数のタスクが次々に発生していき、各々がその場その場で役割意識を持って自主的に作業を進める中、俺はというと、よくボーッと立ち尽くしている。

 

もちろんこれは、その時の人数や発生している仕事の量によって状況は変わってくる

 

人数が少ないときや仕事が多いときは、さすがの俺でも何かはやっている。

 

ただ問題は、人材が供給過多のとき、もしくは周りの人間が優秀なとき。

 

おれは必ず職を失っている。

 

自分がある仕事の存在に気づいた時には、すでに他の誰かが率先して取り掛かっている。

 

というか、1人の人が2,3人分の仕事をしていることも多く、やっぱりおれは職にありつけない。

 

こういうとき、普通の人はどう思うのだろう?

 

俺の場合、そこに「楽できて肉が食えればいいじゃん」みたいな感情は一切なく、

例え遊びの場とはいえ自分の役割を見つけられず手持ち無沙汰になっている状況はまあまあツラい。

 

「バーベキューで動ける人」になるためには、何が必要なんだろう?

 

視野の広さ、目的からの逆算思考、単純な経験値...いろいろあると思うんだけど、

ボーッと突っ立ってる俺は何から練習していけばいいのか?

バーベキューの時に俺が怪訝な顔をしていたら、こういうことを考えています。

 

 

...と同時に、わりと根っこの価値観のズレも感じている。

 

会社の仕事は達成する結果に価値があると思うけど、バーベキューはどちらかというと共創する過程に価値を感じる。(俺だけ?)

 

遊びの場で分担する仕事って、基本的になんでも楽しいからやりたいと思う派。

 

大塚愛も言ってるように、共同作業ってやっぱいいもんなんじゃない?

 

こういう価値観を持っているから、たまに俺が主催側のときはみんなの仕事量が均一になるように仕事を振るようにしたりする。

 

俺に仕事を振られた人って心の中では(なんだよめんどくせえな)って思ってるのかな?

 

やっぱりこの価値観ってマイノリティなんでしょうか。

 

1人で台所を占領し、玉ねぎを切りニンジンを切りじゃがいもを切っている人に、俺は「何か仕事ください!」と声をかける。

 

すると、「仕事は今はないかな」って返される。

 

こういう人の根本的な価値観ってあくまで「仕事=面倒くさい作業」であって、「みんなの負担を代行してあげてるんだよ」という価値観で動いている?

 

 

おれがバーベキューを楽しむためには、まず仕事ができるようになるべきなのか、それともこの少数派に思える自分の価値観を正すべきなのか...

 

今度バーベキューをする機会があったら、"仕事ができる"人に聞いてみようと思う。

 

きんじょ