時間厳守の二重苦
「決められた時間に決められたことをしないといけない」状況って、控えめに言ってしんどすぎる。
なぜそんなにしんどいのか...そう振り返ってみた時に、
「ダブルでしんどいから」では?と思った話
そしてその二重苦はズバリ何かというと、「準備」と「実行」だと思っている。
例えば、世の9割の人間が避けては通れない
「平日の朝、早起きしなければならない」
という事象について考える。
そのままの事象として捉えてしまうと、上記を「〇〇しなければならない」という一元的なノルマと捉えてしまいがち
だけど、よくよく分解してみると、
①(朝起きれるように)早く寝なければならない
②(次の日実際に眠たい目をこすって)早く起きなければならない
という2つのノルマが同時発生しているように思える。
そして、ここがダブルで効いてきているように思えてならない。
仮に上記のように2つに分けて考えている人がいたとしても、どうしても②のほうにフォーカスがいってしまっているのではないだろうか
良くも悪くも、実行できるかどうかが問題、だから。
でもよく考えてみると、①の「準備」による機会損失って、割と軽視できないなって思う。
なぜかと言うと、何か人生を変えるきっかけになるようなことや、かつて味わったことのない幸せを噛み締められる瞬間って、「セレンディピティの形」で現れる気がしていて、そのセレンディピティは"準備"をしている人間には受け止められないから。
※セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。(Wikipedia)
例えば、本屋で立ち読みをしている時。
偶然、表紙が目に入った本。
手に取る。
もしかすると、その本が人生を変えるきっかけになるかもしれない。
ただ、次の電車を逃すともう始業時間には間に合わない。
本を読んでいる暇はない。
しぶしぶその本を元あった場所に返してホームに向かう...
寝る前にちょっとだけ、と新しいアニメを見てみる。
見始めたら、それがたまらなく面白い。
でも、2話目をみてしまうと次の日寝坊が確定する。
なくなくスマホを横に置き、
代わりにアラームだけセットして眠りにつく...
人間を操縦される飛行機に見立てるなら
離陸するその瞬間だけではなく、むしろ助走の時点から空気抵抗を受けている
そして、助走に要する時間は離陸に要する時間よりずっと長く、その長さに比例して機会損失を生む発生確率が高まる
欲を言うなら、人生で数回しかないかもしれないようなセレンディピティを、俺は全身全霊を持って迎え入れられる器が欲しい
その奇跡的な瞬間に、明日の準備が...とか本当にしょうもない
未来の約束を他者に設定されてしまうと、時間軸上にプロットされるその1点より、その前に発生してしまう間接的な制限が、人生をこの上なく空虚にしているのでは?と思ったのでした。
きんじょ